十二年前から十二号だった男

舞台『十二人の怒れる男』、無事に千秋楽を終えました。
「本当に大入でしたから」と渡された大入袋。
毎日のように立ち見が出てたみたいだもんなぁ~
お越し下さった皆様、本当にありがとうございました!

本番前のスピードランを最後の日まで続けた僕ら。
記念にと思ってデジカメで写真を撮ってたら、こんな状態に…
よく考えたら、これほどウォーミングアップを欠かさなかった仕事はない。
この効果があったのかどうかは不明だけど、僕らにとってはお祈りのようなものだった。

今回の舞台のエンディングに使われていた曲は、
シガー・ロスの『HVARF-HEIM~消えた都』
この曲の寛容的旋律が、カーテンコールに立つ僕の涙腺を初日から常に緩ませていた。
ずっと我慢し続けていたのに、千秋楽の最後にはとうとう溢れ出てしまった。
中井さんは「歳を取ったらまた集まって、老人ホームを廻りましょう」なんて言ってた。
滅多に組み合わされない平均年齢50超の男ばかりのメンツだからね~
この歳になって、まだ若い方から三番目を味わえるなんて、とても貴重な仕事だったと思う。
蜷川さんから「また宜しく頼むね」と言われ、「是非!」と言えた自分がいた。
これが最後の舞台になるかもしれないと思っていた不安は、
いつの間にか何処かに消え去っていたみたいだ…

実は12年前の1997年の春に、
バイク便の会社で同僚だった故・望月誠氏の結婚パーティーの席で、
僕は蜷川さんとニアミスをしていた。
望月氏は嘗てニナガワカンパニーに所属していた時代があり、
その時代に関わっていた人々には知られた男である。
当時の僕は役者の関係者としてではなく、バイト先の同僚として出席していた。
そこで突然、新郎新婦への祝辞のスピーチを頼まれ、
観たばかりだった映画『マーズ・アタック!』の火星人のフリをして、
Hi8ビデオカメラのスピーカーを翻訳機に仕立て、火星人語で祝辞を述べてた。
すでに僕は12年前に12号の如く、蜷川さんの前でジョークをスベらせていたのだった。
その席でバイク便のメンバーで蜷川さんと一緒に撮らせて頂いた記念写真の自分は、
まだ写り方すら心得てなかったのか照れだったのか、顔が半分隠れている。
今まで蜷川舞台に関わるなんてあり得ないと思っていた自分だったけど、
今思い返すと、彼に導かれていたのかとさえ思えて来る。
そして僕の高校時代からのトラウマを取り払う為に因縁の演目を選んだ神サマがいた?
この先、役者として生きて行く事に自信を授けてくれたこの作品に感謝します。
やって良かった… そう思えて、本当に良かった。




| 「十二人の怒れる男」 | 23:58 | comments:9 | trackbacks:0 | TOP↑
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